「自分を殺す」ということ

11月1週目の3日間、3度目のドリアンへ。

今回は校長田村さんはご不在。

パン焼きエースのツカノマパンことツカポン先輩とナカムー先輩が迎えてくださいました。

今回3回目ということで、たくさん作業をふってくださる先輩方。

作業を急にふられてできないと意味がないよと、

ツカポン先輩がふいにあげてくれるトス。

絶妙なタイミングであげてくれるトスを、私はぜんぜんうまく返せなかった。

さっきまでしっかり見ていたはずなのに、いざやるとその通りにできない。

自分流が混ざってしまう。そこでぜんぜん見れていないことに気づく。

そのときにやっとわかる「弟子のかまえ」の本質。

わかっているつもりだったことに気づかされる「自分を殺す」ということばの意味。

弟子の構えとは、パンの学校初期に習った大切なこと。

昔からある日本の職人仕事に関しての、ものの教え方学び方。

一度は封建的だとなくなりかかっていたけれど、最近では脳科学的にも理にかなっていると、見直されているものだそうだ。

頭の壁をなくして受け入れるということ。

学びが深くなり、変わることができる。

個性を出すことと真逆のようであるが、

茶道の作法にはオリジナルがないにも関わらず、

あれほど“人となり”が出るものがないように、

本当の個性が醸し出されるということなのだ。

ツカポン先輩は、私がなぜうまく返せないのかを、自分で気づくところまでもっていってくれる名コーチだった。

ドリアンのパンづくりはまさにスポーツで、作業に無駄がない。

その分、無駄があると後々の作業にひびく。

その中でたくさんトスをあげ、全力で向き合ってくれたコーチ。

ありがたい気持ちと申し訳ない気持ち。

そしてこれを絶対に無駄にしないぞという気持ち。

何が足りていないかわかった今、鍛錬して、

次に伺うときには、必ずアタックを決めてみせます!

生地を捏ねるところから、成型、窯入れ窯出しまでさせていただいた、愛しのライ麦パン

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*